藤井聡太の小さい頃の逸話は?師匠との出会いや意外なエピソードを紹介!

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藤井聡太五冠というと小さい頃から将棋が強く、これまでに多くの最年少記録を塗り替えるほどの天才ですが、そんな彼の小さい頃の逸話や師匠との出会いをご存じでしょうか?

 

藤井五冠ほどの天才となると小さい頃からたくさん活躍されていて、将棋では様々な逸話を残していますが、私生活の方でも藤井五冠についての有名な話があります。

 

例えば、学生の頃から頭が良く学校の授業もすぐ覚えたり、宿題を家に持ち帰らず学校でササっと済ませていたので藤井五冠の母は学校から宿題を出されていること知らなかったりと小さい頃から頭も良かったそうです。

 

また藤井五冠は運動も得意だったそうで、特にかけっこが速かったとされていて50mを6、8秒で走るなど将棋をされているときの冷静さや普段のおとなしい姿からは想像のできないような幼少期をおくられていたようです。

 

将棋に没頭されている姿やおっとりとした雰囲気から運動は苦手そうに見えてしましますが、藤井五冠は運動もできるなど現在の雰囲気からは感じ取ることのできない意外な一面があると感じますね。

 

藤井五冠は将棋以外でも様々な逸話を残していますが、今回は将棋についての小さい頃の逸話をいくつか紹介していきたいと思います。

 

また、藤井五冠と師匠の杉本昌隆八段の出会いや師弟関係を結ぶまでのエピソードや、ほっこりさせてくれるような意外なエピソードも紹介していきます。

 

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藤井聡太の小さい頃の逸話は?

藤井五冠は5歳の頃に将棋を始めたとされていますが、彼は将棋を始めたころからその才能を見せたとされていて、とても速いスピードで将棋の腕前を上げて行きました。

 

将棋界でタイトルを獲得した一流棋士の多くが、将棋を覚えた年齢は小学校の就学前後とされていて、藤井五冠もその例にもれずに小学校に進まれる前から将棋を始めています。

 

年少で将棋を覚え、小学生のうちに奨励会に入って修行、10代のうちに四段に昇格しプロ棋士になるというのが一流棋士の一般的な流れとされています。

 

その中でも藤井五冠は史上最年少で四段に昇段を果たすなど、これまでの一流棋士たちよりも将棋の上達スピードがとても速いことがわかり、小さい頃からの逸話がたくさんあります。

 

藤井五冠のその天才的な将棋の才能は、よくニュースで紹介され彼の活躍によって将棋ブームが起こったことは良く記憶に残っていると感じます。

 

そんな将棋でこれまでに見たことのない活躍を続けられている藤井五冠の小さい頃の逸話を今回は二つほど紹介していきたいと思います。

 

藤井聡太の将棋を始めて間もない頃の逸話!

藤井五冠が5歳の頃、彼の祖母に将棋セットを買ってもらったことが将棋を始めるきっかけとなり、最初のうちは祖母と一緒に将棋をしていたようです。

 

将棋を始めて間もなく祖母では藤井さんの相手にならなくなり、祖母より将棋の強い祖父が藤井さんの対戦相手を務めるようになったと言われています。

 

藤井さんは祖父の通っている地元のお年寄りが集う将棋サークルについていこうとすると、「子供が来てはだめ」と言われて「早くおじいちゃんになりたい」言うほど強い相手と将棋がしたかったそうです。

 

藤井さんは小さい頃から将棋に対する関心が高く、色んな相手と将棋をしたかったのでしょうが、「早くおじいちゃんになりたい」という発言には驚いてしまいますよね。

 

藤井さんが将棋を始めたのは2007年の夏からですが、祖父が藤井さんに歯が立たなくなったのは同年の秋で、藤井さんの将棋についての読み込みが非常に早く、早いうちから才能がある事がわかりますね。

 

藤井さんは同年の12月に地元の将棋教室に通うようになり、入会時に師範から渡された500ページ近くある所司和晴の『駒落ち定跡』を読み書きできないにも関わらず符号を頼りに読み進め、1年後には完全に理解し記憶したようです。

 

小学1年生となった藤井さんは、プロ棋士でも全問解けない人も出てしまうような難問の『詰将棋解答選手権』では、90分ある制限時間を半分以上残したうえで全問正解するなどとてもすごい成績を残しています。

 

藤井聡太、「第9回小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会」での逸話!

2012年1月、藤井五冠が9歳の頃に小学館主催で行われた「第9回小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会」の小学3年生の部での逸話を紹介します。

 

この大会の準決勝で藤井さんは伊藤匠さんに負けたことが悔しく声を上げながら泣いていたそうで、今回の大会では藤井さんだけが泣いていたので目立っていたと言われています。

 

負けて泣く子は少なくないそうで、自分の特技や自身のある事で負けたり失敗してしまうとショックを受けたり悲しくなって子供なら泣いてしますのも無理ないですね。

 

この大会で藤井さんはよほど悔しかったようで、いつまでも泣き止まず伊藤さんが決勝戦に移れなかったり時間が押すなどしてスタッフが藤井さんをなだめるのにも苦労したそうです。

 

上の学年の子に負けることはあったとしても、同学年の子や年下に負けるとは思っていなかったため同学年の伊藤さんに負けると藤井さんは思っていなかったのでしょう。

 

藤井さんはこの頃も関西・中京エリアではダントツで将棋が強かったため、まさかこのような結果になるなんて想像できなかったのだと思います。

 

藤井さんが泣き止まないまま3位決定戦が始まったようですが、彼は泣きながらでもこの3位決定戦に勝利し、その試合を見ていた勝又清和七段は「20年以上子供たちに将棋を教えてきましたが、泣きながら勝ったのは藤井くんしかいません」とコメントされていました。

 

「将棋は心が乱れると本来は勝てない、ものすごい根性だなぁと感心しました」とも勝又七段はコメントされていて、藤井さんは小さい頃から気持ちに乱れがあってもしっかりと将棋指せるという逸話がありました。

 

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師匠との出会いや意外なエピソードを紹介!

将棋界でプロとして活躍している棋士の方々は師弟関係を組んでいる人が多くいますが、藤井五冠には杉本昌隆八段という棋士としても活躍されている師匠がいます。

 

藤井五冠と杉本八段の出会いの出会いは、藤井五冠が小学1年生の頃に杉本八段が声をかけたことが出会いのきっかけだと言われています。

 

藤井五冠が4年生の夏、奨励会を受験する前に藤井五冠の母に杉本八段が「コメダ珈琲」に呼び出され、藤井さんが母に「ほら、自分で直接言いなさい」と言われ話が始まったそうです。

 

杉本八段はここまでの状況で何を頼まれるのか分かったそうですが、緊張した様子で目も合わすことのできない藤井さんの「奨励会試験を受けたいので、弟子にしてください」という言葉を聞いたとされています。

 

杉本八段は藤井さんと出会った時から師匠になる事を意識されていたようですが、藤井さんのあまりに大きく自分には理解できない才能を育て上げられるのかという心の葛藤があったそうです。

 

藤井五冠は小さい頃から将棋の才能があると言われていたので、才能ある藤井さんを上手く育てることができるのか不安になってしまう気持ちがとても大きかったのだと思いました。

 

そんな藤井五冠と杉本八段がどういった経緯で師弟関係を結んだのか、またこの二人の意外なほっこりするようなエピソードについても紹介していきます。

 

藤井聡太と杉本昌隆師匠の出会い

藤井五冠と師匠の杉本八段の出会いは藤井さんが小学1年生の終り頃で、研修会の対局のあとの感想戦で藤井さんが「この場面はここに歩を打たないと、こちらに勝ちがない」と主張するのを杉本八段が見かけたことがきっかけになったと言われています。

 

杉本八段は小学1年生の段階なら、駒を取ったとか取られたとか、詰むとか詰まないといった目に見えている部分を見て判断する年頃ではないかと思ったようです。

 

藤井さんが歩を打っておかないと悪いことが起きると話していたことに関心を持ち、この年で目に見えていない先のことを話している姿が印象的だったと感じたそうです。

 

何事も始めたばかりだと目先のことが優先になって、先のことは考えられなくなってしまいますが、先を見ることのできる藤井さんの視野の広さや才能に驚かされてしまいますよね。

 

杉本八段は現役で活躍したいと思っていたので弟子をたくさんとりたかったわけでもなく、責任も増えるのでこの時点で藤井さんを弟子に誘わなかったそうです。

 

しかし藤井さんには非常に才能がある、間違いなくプロになると思ったようでこの先どこの門下に行くのかにも興味があったものの、よその一門に行くのも悔しいとも感じたと言われています。

 

その後、杉本八段のもとに藤井さんの方から弟子入りの申し込みがあり、藤井さんは同世代の少年の中でも将棋のセンスは群を抜いていると感じた杉本八段の弟子になりました。

 

藤井聡太と杉本昌隆師匠の意外なエピソード

藤井五冠と杉本八段の意外な誕生日エピソードを紹介しますが、杉本八段は将棋界では誕生日というのはあまり嬉しいものではないと明かしていました。

 

プロ棋士育成機関「奨励会」には21歳の誕生日までに初段、26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇給するなどと言った年齢制限があるため「誕生日はうれしくない」と感じるそうです。

 

誕生日を迎えるごとに緊張が増す将棋界ですが、師匠の誕生日を覚えるより将棋を勉強しろと言われるそうで、師弟が互いの誕生日を知らないことはごく普通のことだと言われています。

 

藤井五冠も例に倣い、彼が竜王を獲得した2021年11月13日は杉本八段の誕生日でしたが、当時の藤井さんは「全く知らなかった」と発言していました。

 

その発言に対して杉本八段は「『全く知りませんでした』の『全く』はいらない、あんなに断定されなくても」と自虐的に笑いを取りつつ返されていました。

 

そういったやり取りがあるものの、杉本八段は藤井五冠が中学生でプロデビューされた後の1年目にノート、2年目に新幹線の形をしたネクタイピン、3年目に高知県で購入したカツオのなまり節を誕生日プレゼントとして贈られたそうです。

 

藤井五冠の誕生日は7月19日なので20歳の誕生日プレゼントについても「周りから言われるので、(会場に)来る前に寄り道して買いました」と照れ隠しをするように答えられています。

 

藤井五冠の将棋にとてもひたむきで師匠の杉本八段の誕生日を全く覚えていない姿や、自分の誕生日を祝ってもらいたいわけではないけれど藤井五冠にプレゼントは用意する杉本八段の姿はほっこり微笑ましいですね。

 

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藤井聡太の小さい頃の逸話は?師匠との出会いや意外なエピソードを紹介!まとめ!

 

藤井聡太五冠はこれまでにたくさんの記録を塗り替えてきましたが、そんな彼の小さい頃の逸話や師匠の杉本昌隆八段との出会いを紹介してきました。

 

藤井五冠は小さい頃から逸話が多いですが今回紹介させていただいた、将棋を始めて間もない頃から将棋の才能を見せ、『駒落ち定跡』や『詰将棋解答選手権』では逸話を残しています。

 

また小学3年生の時の将棋大会では号泣しながら将棋を指していましたが、心が乱れた状態で試合に臨んだのにも関わらず、その試合で勝つという逸話もありました。

 

藤井五冠と杉本八段の出会いは藤井五冠が小学1年生の時で、小学1年生の段階で目には見えない先の話をしていたことに杉本八段が関心を持ったことが始まりとされています。

 

藤井五冠が小学4年生の夏で奨励会の受験をする前、杉本八段に弟子にしてほしいと頼んだことでこの二人の師弟関係が結ばれました。

 

師弟関係に当たる藤井五冠と杉本八段の誕生日エピソードは、真面目に将棋をされているときとは違い、ほのぼのとして微笑ましい二人の関係を見ることができました。

 

小さい頃から才能あふれる藤井五冠でしたが、今後もさらなる活躍で新しくこれまでにないような記録をたくさん残していただきたいですね。

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