高橋一生の生い立ちが壮絶!父や母についても調査!
俳優の高橋一生さんは9歳のときに芸能界入りを果たしていて、実は芸歴30年の大ベテラン俳優だということはご存知でしょうか。
そんな高橋一生さんが幼くして芸能界に入ったきっかけは、祖母の勧めで入った児童劇団の舞台で思いのほか祖母が感動してくれたことが印象に残り俳優を目指したそうです。
一方で高橋一生さんが幼少期のことを語る際に両親の話はほとんどしないことから、両親とはどんな関係なのか気になりますよね。もしかするとあまり関係性が良くないのかもとも想像してしまいます。
調べてみたところ高橋一生さんには父親が3人いるそうです。というのも母親が3度結婚と離婚を繰り返していたというので驚きですよね。
それだけで生い立ちが壮絶というのが想像できますが、調べをすすめていくと母親のとんでもないエピソードがあったので必見ですよ!
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高橋一生の生い立ちが壮絶!
高橋一生さんの、このくしゃっとした笑顔がたまりません♡ #Astudio pic.twitter.com/eWES16ePYB
— いちご (@ichi_go_3) March 24, 2017
以前から高橋一生さんは“母親とは絶縁状態”だということをインタビューで語っており、もしかすると生い立ちが壮絶なのでは?という推測がファンの中ではあったようです。
そんな高橋一生さんの生い立ちについて広く世間に知れ渡るきっかけとなったのは、笑福亭鶴瓶さんが司会を務めている人気番組“A-Studio”に出演したときでした。
番組内は終始重々しい雰囲気ではなく、笑福亭鶴瓶さんが高橋一生さんの弟であるNever Young Beachのギターボーカル“安部勇磨”さんにあってきたという話の流れで、安部勇磨さんと自分は父親が違うということを明かしたんですね。
正確に言うと高橋一生さんは五人兄弟の長男で父親が3人いて、自分が最初の父親、次男と安部勇磨さんが2番目の父親、四男と五男が3番目の父親ということを打ち明けていました。
これを聞いただけでも複雑な家庭環境だったことが想像できますが、高橋一生さんは暗くなるような素振りはなく終始明るく話していたのが印象的でした。
複雑な家庭環境ながらも自分のなかでは気持ちの整理がついていて、世間に打ち明けてもいいと思ったタイミングだったのかもしれませんね。
高橋一生の面倒は祖母がみていた!
【政次が来た⑥】生い立ち
・祖母に勧められ「児童劇団に入った」
・はじめての「アー写」披露だ#あさイチ #高橋一生 #おんな城主直虎 pic.twitter.com/EdbbtQpv85— わび@さび (@think_literacy) August 4, 2017
出演したA-Studioでは“母とは会うとケンカになるため10年以上あっていなかった”と打ち明けていることから二人の中には長きに渡り確執があったようです。
そんな母親は高橋一生さんが幼少期の頃から仕事で家を空けることが多く、母親に代わって面倒を見てくれていたのは高橋一生さんの祖母だったようですね。
幼少期は引っ込み思案で人と話すのが苦手なおとなしい少年だった高橋一生さん。そんなところを心配して児童劇団を勧めたのも祖母だったと言っています。
当然児童劇団での活躍を喜んだのも祖母で、それが嬉しくて俳優の道を志すようになったそうですよ。
幼少期から母親との関係はあまり良くなかったものの、祖母とは良好な関係を築いていたというのは高橋一生さんにとって心のよりどころになっていたと言えるかもしれません。
残念ながら祖母は既に亡くなってしまっているようですが、数年前のインタビューで「尊敬するひとは?」の問いに「祖母ですね。はい」と即答していたのが印象的でした。今の高橋一生さんを育てたのは祖母だと言えるかもしれませんね。
幼少期には借金も?
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高橋一生さんの生い立ちが壮絶だというのはA-Studioをはじめとした様々なインタビューからわかったことなのですが、そんなエピソードのなかにあった100万円借金の話がとても衝撃的でした。
これは高橋一生さんではなく弟でロックバンドNever Young Beachのボーカル安部勇磨さんがインタビューで打ち明けていた話を紹介します。
安部勇磨さんが中学1年生のときに仲のいい同級生の女の子がいて、勇磨さんはその子のことが気になっていました。
その子の家は結構なお金持ちで勇磨さんも何度か家に遊びに行くなかで向こうの母親にも可愛がってもらっていたとのことです。
そんなある日母親から「家賃が払えないからその子の家から100万円借りてきてよ」と言われ泣く泣く借りに行ったと明かしていました。
いきなり子どもにお金を借りに行かせるなんて、それだけで相当な毒親ではないか想像してしまいますが、相手の母親は「わたしは勇磨が好きだから貸すよ、あんたのお母さんに貸すんじゃないって伝えて」と言い100万円を貸してくれたというので驚きですよね。
相手の“あんたのお母さんに貸すんじゃない”という発言から母親同士はあまり面識がなかったということがわかりますし、そのなかで好きな女の子の家にお金を借りに行くというのは勇磨さんにとって大きなトラウマになったと思います。
勇磨さんのはなしでは自分以外の上の兄もそういうことをさせられてきたのを見て育ったと語っており、なかなか破天荒な母親だったことがわかりますね。
高橋一生さんの私服について賛否の声が上がっています!詳しくはこちら!⇒高橋一生の私服はダサくない?チェーンの画像に賛否の声!
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父や母についても調査!
〜月9 共演者!!! A-Studio〜
懐かしいなぁ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』#高橋一生 #森川葵 pic.twitter.com/eZ9dHmnOVt
— ESAKING [ ] (@ceo_master) January 20, 2017
高橋一生さんの生い立ちが壮絶だという事で迫ってきましたが、そんな高橋一生さんのご両親ってどんな方なのか気になりますよね。詳しく掘り下げてみましょう。
まず父親について調べていくと残念ながら高橋一生さんが5歳のときに亡くなっているという話が出てきました。
しかし調べを進めていくと現在も生きていて芸能関係の仕事をしているや、会社を経営しているなど様々な噂があり今ひとつ確かな情報がありません。恐らく父親が3人いるため色々な情報が錯乱しているのでしょう。
一部の情報では父親は今も生きていて北海道北見市でタイ料理店“old coolie’s”を経営しているという話もありました。
なぜそのような話が出たかというとold coolie’sのフェイスブックの投稿に高橋一生さんが“いつ恋に出るからみてやってくらんせ”という内容が投稿されたからなんですよね。
なにかしらの関係性がないと“みてやってくらんせ”という言い方にならないでしょうし、噂ではマスターは常連さんに「高橋一生は息子だ」と明かしていたようですよ。
残念ながらこのお店は2016年頃に閉店してしまったようですが、マスターは最後に「東京に戻る」と言って北海道を後にしたとのことです。
高橋一生さんも東京生まれなので、もしかすると今も高橋一生さんと繋がりがあるのかもしれませんね。
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高橋一生の母親は?
次に高橋一生の母親について迫ってみたところ、母親は会社を経営しており同時に複数の事業に手を出していたそうです。
そのなかでお金の羽振りがいいときは良いのですが、元々お金使いが荒く3~4年周期で生活が苦しくなっていたようなんですよね。
そんな母親について迫っていくと先ほどの100万円借金の話以外にも毒親ではないかと疑ってしまうエピソードがありました。
① 息子の顔を否定するような発言
児童劇団に入り俳優という夢を持った高橋一生さんに対して“あんた、対した顔してないんだから、近所のあんちゃん役やればいいのよ”という発言をしていたとのこと。
息子が児童劇団に入ったのであれば親なら喜んだり、主役を目指すように勧めたりするものかと思ったら違ったようですね。
それ以外にも日常的に“あんたなんかと”息子を蔑むような発言をしていたというのには驚きです。
② 車を勝手に売った
元々お金使いが荒い母親は、勝手に子ども達の私物を売ってお金に変えてしまうことが度々あったそうです。
ある日もお金に困った母親は高橋一生さんの愛車を勝手に売却し、当然のようにお金に変えてしまったとのこと。
これには温厚な高橋一生さんもさすがに堪忍袋の緒が切れてしまい、そこから家を飛び出し10年以上絶縁状態になってしまったという出来事がありました。
長男として父親の代わりをしなくてはならなかったことなど、今までいろいろ我慢してきたものが全て爆発してしまったと言えるでしょう。
高橋一生さんには4人も弟さんがいます!その中でも要チェックなのはこの人!⇒高橋一生には弟 4人もいる?バンドをやっていて注目なのは誰?
現在の母親は?
鶴瓶の家族に乾杯、静岡県特集してますが、高橋一生さんも「おんな城主直虎」のとき浜松来ておられましたね😊旅の時はもちろん、スタジオのビジュアルが最高に好きでした🥰 #高橋一生 pic.twitter.com/V4TNtS7Mjk
— GONTA (@GONTA26260063) September 7, 2020
母親とは絶縁状態のまま10年以上たったある日、弟の安部勇磨さんから母親が病に伏せていると連絡がありました。
しかしそんな状態でも高橋一生さんは「会うとまた喧嘩になるから、もう少し弱ってから行く」と伝えすぐには会いに行きませんでした。
結局会いに行ったのは母親が危篤状態になったときで約10年ぶりに会う母親はひどくやせ細っていたそうです。
最終的には母親から「ごめんね、今まで」という謝罪の言葉があり、それに対して高橋一生さんも「大丈夫。弟たちはなんとかするからゆっくり休んで」という言葉をかけて和解できて良かったと話していたのが印象的でした。
母親はそんな和解をした1週間後に53歳の若さで癌が原因で亡くなったそうです。
長年絶縁状態だった母親と和解し最終的に看取ることができたのは、高橋一生さんのなかでも長年突っかかっていたものが取れ、あえて番組内で話したのかもしれませんね。
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高橋一生の生い立ちが壮絶!父や母についても調査!まとめ!
いかがでしたか?
今日は高橋一生さんの生い立ちが壮絶ということで迫ってみたところ、高橋一生さんの母親は3度も結婚と離婚を繰り返していたことがわかりました。
高橋一生さんからすると3人父親がいて他の兄弟全員と父親が違うわけですから、それだけで壮絶な幼少期を送っていたと言えますよね。
そんな高橋一生さんの父親は、亡くなっているという噂や会社経営、かつて飲食店経営していたなど様々な憶測があるものの確かなことはわかりませんでした。3人も父親がいるのでいろいろな話が混同してしまっているのかもしれませんね。
一方で母親は幼少期の息子達にお金を借りに行かせたり、私物を勝手に売ってしまったりとぶっちゃけ毒親とも言える母親で長年高橋一生さんとは絶縁状態だったことがわかりました。
しかしそんな母親も2015年に53歳の若さで亡くなっており、亡くなる1週間前には和解できたとのことなので本当に良かったと思います。
高橋一生さんは長男ですし、長年破天荒な母親に苦しめられてきたのかもしれませんが、最終的には“和解できて良かった”と語っていたのが印象的でしたよ。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。